2008年 08月 04日
『アフター・アワーズ』 |
悪夢。
つかみどころのない焦燥感と、出口のない恐怖。
欲望と隣り合わせにある落とし穴。
しかし映画における悪夢は、性質が悪ければ悪いほど限りない快楽となり得る。
『アフター・アワーズ』はマーティン・スコセッシの最高傑作である。
彼のフィルモ・グラフィーのなかでは最も知名度の低い作品なのだが、その不浄さ、不条理さで突き抜けている。夜の蠢きを知り尽くした作家の、真夜中の映画。
’80年代のアメリカ映画の代表作でもある。
僕は、この『アフター・アワーズ』と、クリント・イーストウッドの『ペイル・ライダー』、そしてジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』が、この当時のアメリカ映画において「悪夢の快楽」を豊かに、そして淫靡に内包した作品であると確信している。
カフェで時間と空間を共にする、グリフィン・ダンとロザンナ・アークウェット。二人はヘンリー・ミラーの「南回帰線」について語る。この二人が健全な精神であるはずがないことは空気でわかる。
この二人の背後で突如繰り出された、レジ係の、背筋の伸びたターン。
若かった僕は、このシーンを初めて目の当たりにしたとき、このショットに激しい嫉妬と憧れを感じた。きっと、僕はこういう映画を撮りたいのだと、初めて意識した。
その後も、このフィルムの不条理さは少しも緩むことがない。
ロザンナ・アークウェットはどこまでも底意地が悪く、頭が緩く、口元も緩い。
グリフィン・ダンは、神経質なようで、破滅を孕んでいる。
僕の大好きな俳優である、ジョン・ハードの予測できない凶暴さも愛せる。
マーティン・スコセッシには、こんな映画を撮り続けてもらうしかない。
彼にしか撮れない、不浄で、不条理で、淫靡なナイトメア。
真夏の夜には、不条理な悪夢が似合う。
つかみどころのない焦燥感と、出口のない恐怖。
欲望と隣り合わせにある落とし穴。
しかし映画における悪夢は、性質が悪ければ悪いほど限りない快楽となり得る。
『アフター・アワーズ』はマーティン・スコセッシの最高傑作である。
彼のフィルモ・グラフィーのなかでは最も知名度の低い作品なのだが、その不浄さ、不条理さで突き抜けている。夜の蠢きを知り尽くした作家の、真夜中の映画。
’80年代のアメリカ映画の代表作でもある。
僕は、この『アフター・アワーズ』と、クリント・イーストウッドの『ペイル・ライダー』、そしてジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』が、この当時のアメリカ映画において「悪夢の快楽」を豊かに、そして淫靡に内包した作品であると確信している。
カフェで時間と空間を共にする、グリフィン・ダンとロザンナ・アークウェット。二人はヘンリー・ミラーの「南回帰線」について語る。この二人が健全な精神であるはずがないことは空気でわかる。
この二人の背後で突如繰り出された、レジ係の、背筋の伸びたターン。
若かった僕は、このシーンを初めて目の当たりにしたとき、このショットに激しい嫉妬と憧れを感じた。きっと、僕はこういう映画を撮りたいのだと、初めて意識した。
その後も、このフィルムの不条理さは少しも緩むことがない。
ロザンナ・アークウェットはどこまでも底意地が悪く、頭が緩く、口元も緩い。
グリフィン・ダンは、神経質なようで、破滅を孕んでいる。
僕の大好きな俳優である、ジョン・ハードの予測できない凶暴さも愛せる。
マーティン・スコセッシには、こんな映画を撮り続けてもらうしかない。
彼にしか撮れない、不浄で、不条理で、淫靡なナイトメア。
真夏の夜には、不条理な悪夢が似合う。
by cassavetes69
| 2008-08-04 23:00
| 映画
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