2006年 09月 03日
『浮雲』 |
男と女の「流される」様をこれほどリアルに捉えられると、やるせなくなるものだ。
敬愛する溝口健二のブームが静かに訪れる胸騒ぎを感じながら、へそまがりに成瀬巳喜男の『浮雲』を取り上げたい。
アキ・カウリスマキの『浮き雲』は小津とフランク・キャプラに密かに捧げられた作品であり、
この『浮雲』との関連性を見出すことは困難だ。僕は彼の、可笑しくも陰鬱なサイレント映画『白い花びら』こそが、この『浮雲』へのオマージュであると信じている。
彼の最高傑作と評される『浮雲』は成瀬巳喜男にとっては、かなり異質な作品である。だからこの作品で成瀬を評価するのは妥当ではないと感じている。僕自身も後期の彼のフィルモグラフィーの中からは、『驟雨』や『めし』での味のある演出を好む。
しかし、『浮雲』で撮られた男女の業のような結びつき---無常さ、退廃、狡さ、強かさ、虚無感、情欲といった様---を言葉ではなく、スクリーンに映る”画”によって観るものに突きつけたフィルムを無視するわけにはいかない。
「男と女」という”生もの”の関係が続いている限り、会話と行動の関連性はあまり意味を成さない。「別れる」「逢わない」「死ぬ」という言葉が放たれようと、朽ちかけた結びつきがそう簡単に終わりを迎えるわけではない。『浮雲』の森雅之と高峰秀子による朽ちかけた関係は、「結ばれた糸」というよりも、「縛られた縄」のような物であり、いかなる裏切りや不遇にも屈することがない。
流されるまま、離れたり接近したりを繰り返す二人の仲と、その立場や行動は決して一致しない。「ただ離れられないだけ」という何より強い動機がそこにあるだけで、その説明を排除した成瀬の演出には畏怖の念を抱かざるを得ない。
この『浮雲』を敢えて取りあげたことにはもう一つ理由がある。
”ファム・ファタール”としての高峰秀子の存在感である。
情愛と生活の中を傷つきながら強かに揺れ動いていく彼女の背徳の美しさ。
『汚れた血』のレオス・カラックスも、成瀬映画における高峰秀子の魅力を賛美していたが、
まさに同感である。
ほんのわずか焦点のずれた眼差し、冷たく響く悪声。穏やかな顔立ちと白い肌。
これが、この映画の淫靡でいかがわしい暗さに、更なるエロスを持ち込んでいるのだ。
今の日本でこれほどの退廃と倦怠を感じさせる情欲の映画が撮れるだろうか。
いや、難しいだろう。
それは作り手である映画作家の質の問題ではなく、我々、観客の質に原因があるような気がするのだが、いかがだろうか。
敬愛する溝口健二のブームが静かに訪れる胸騒ぎを感じながら、へそまがりに成瀬巳喜男の『浮雲』を取り上げたい。
アキ・カウリスマキの『浮き雲』は小津とフランク・キャプラに密かに捧げられた作品であり、
この『浮雲』との関連性を見出すことは困難だ。僕は彼の、可笑しくも陰鬱なサイレント映画『白い花びら』こそが、この『浮雲』へのオマージュであると信じている。
彼の最高傑作と評される『浮雲』は成瀬巳喜男にとっては、かなり異質な作品である。だからこの作品で成瀬を評価するのは妥当ではないと感じている。僕自身も後期の彼のフィルモグラフィーの中からは、『驟雨』や『めし』での味のある演出を好む。
しかし、『浮雲』で撮られた男女の業のような結びつき---無常さ、退廃、狡さ、強かさ、虚無感、情欲といった様---を言葉ではなく、スクリーンに映る”画”によって観るものに突きつけたフィルムを無視するわけにはいかない。
「男と女」という”生もの”の関係が続いている限り、会話と行動の関連性はあまり意味を成さない。「別れる」「逢わない」「死ぬ」という言葉が放たれようと、朽ちかけた結びつきがそう簡単に終わりを迎えるわけではない。『浮雲』の森雅之と高峰秀子による朽ちかけた関係は、「結ばれた糸」というよりも、「縛られた縄」のような物であり、いかなる裏切りや不遇にも屈することがない。
流されるまま、離れたり接近したりを繰り返す二人の仲と、その立場や行動は決して一致しない。「ただ離れられないだけ」という何より強い動機がそこにあるだけで、その説明を排除した成瀬の演出には畏怖の念を抱かざるを得ない。
この『浮雲』を敢えて取りあげたことにはもう一つ理由がある。
”ファム・ファタール”としての高峰秀子の存在感である。
情愛と生活の中を傷つきながら強かに揺れ動いていく彼女の背徳の美しさ。
『汚れた血』のレオス・カラックスも、成瀬映画における高峰秀子の魅力を賛美していたが、
まさに同感である。
ほんのわずか焦点のずれた眼差し、冷たく響く悪声。穏やかな顔立ちと白い肌。
これが、この映画の淫靡でいかがわしい暗さに、更なるエロスを持ち込んでいるのだ。
今の日本でこれほどの退廃と倦怠を感じさせる情欲の映画が撮れるだろうか。
いや、難しいだろう。
それは作り手である映画作家の質の問題ではなく、我々、観客の質に原因があるような気がするのだが、いかがだろうか。
by cassavetes69
| 2006-09-03 13:52
| 映画
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