2006年 05月 20日
Léonard Foujita |
出張での仕事を片付けたあと、お誘いを受けて国立近代美術館へ立ち寄った。
「藤田嗣治展」
今からおよそ100年前にパリへ渡って、あのモディリアニらと同時代を過ごし、エコール・ド・パリで才能を認められた日本人として広く現代にも知られる画家である。
東京からパリへ、そして中南米を経て日本へ戻り、ふたたびパリへ。
藤田嗣治の足跡を追いかけた絵画展は、溢れる中高年女性の波を掻き分けるという険しい航路だったにも関わらず、とても興味深いものだった。
上の絵でも明らかな白い肌の美しさは、「すばらしき乳白色」という形容で愛好家に浸透しているようだが、僕自身は、彼の絵の「黒」の強さに暫し釘付けになった。
また、静物であれ人物であれ動物であれ、「動き」を全く感じさせることのない、「時を止める」画風に禁断の果実のような危うさを連想した。
僕自身は、『二人の女』というエコール・ド・パリ時代の作品と『客人<糸満>』、それと古典絵画的な戦争画に長い時間吸い寄せられた。
しかし100年もの昔、一人の日本人がパリへ渡るということは、想像を超える孤独との「戦い」であり「戯れ」であっただろう。
あるいは感性と知性との格闘の中で、途轍もない開放感を手にしていたのかもしれない。
「藤田嗣治展」
今からおよそ100年前にパリへ渡って、あのモディリアニらと同時代を過ごし、エコール・ド・パリで才能を認められた日本人として広く現代にも知られる画家である。
東京からパリへ、そして中南米を経て日本へ戻り、ふたたびパリへ。
藤田嗣治の足跡を追いかけた絵画展は、溢れる中高年女性の波を掻き分けるという険しい航路だったにも関わらず、とても興味深いものだった。
上の絵でも明らかな白い肌の美しさは、「すばらしき乳白色」という形容で愛好家に浸透しているようだが、僕自身は、彼の絵の「黒」の強さに暫し釘付けになった。
また、静物であれ人物であれ動物であれ、「動き」を全く感じさせることのない、「時を止める」画風に禁断の果実のような危うさを連想した。
僕自身は、『二人の女』というエコール・ド・パリ時代の作品と『客人<糸満>』、それと古典絵画的な戦争画に長い時間吸い寄せられた。
しかし100年もの昔、一人の日本人がパリへ渡るということは、想像を超える孤独との「戦い」であり「戯れ」であっただろう。
あるいは感性と知性との格闘の中で、途轍もない開放感を手にしていたのかもしれない。
by cassavetes69
| 2006-05-20 01:31
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