「テールランプ」より |
クリント・イーストウッドの『マディソン郡の橋』の1シーンである。
イーストウッドの不敵なフィルモグラフィーの中においてこの作品は、「丁寧に撮ろう」とするあまりか彼独特の大胆さが影を潜めており、いささか弛緩した印象を受けるフィルムである。しかし、間違っても「映像派」などではない彼の、雨の中に浮かぶテールランプの美しさには目を奪われてしまった。
テールランプに心を動かされたのは、いわゆる「映画通」を自認する方ばかりではない。
しかし、僕はこれが映画に対しての、正しく豊かな反応だと感じている。
勿論、映画との接し方を限定しようなどと大それたことを考えているわけではない。
しかし、映画に対してあまりにも貧しい反応をされると、僕は少し不機嫌になってしまうのだ。
-1本の戦争映画があったとしよう。
その映画を観終わった感想として、次のような反応を目にする。
「戦争の愚かさと悲惨さを痛感した。人はなぜ、争うのだろう。深く考えさせられる映画である。」
また、ある人はこう語るだろう。
「鉄砲の弾が、こっちに向かってびゅんびゅん飛んできてびっくりした。目の前で火花がパッと散ったよね。もう、そりゃあ、ドイツ兵がどこに隠れているか心配で心配で。」
僕は、後者の反応を断然支持する。
前者は「映画」を語っていない。
戦争が悲惨なのは当たり前だ。それは映画を観るまでもなく判りきったことである。
仮にそう感じたとしても、その想いを「映画の側」から語るべきだと思うのだ。
僕はそういう言葉を目にしたときに、いいようのない貧しさを感じてしまう。
作り手は、どちらの言葉を賛辞と受け取るだろうか。
優れた芸術は、イデオロギーや政治や宗教にさえも勝利する瞬間がある。
映画に必要以上の「意味」を求めて、ことさら「解釈」しようとすることは、とてもはしたない行為だと感じてしまうのだ。
間違ったことではないかもしれないが、映画と親密になる資格を欠いていると思う。
追記:すっかり話がそれてしまいました。誤解を招きやすい表現がありますが、ここではあくまで「戦争」ではなく、「映画」について触れているということを申し添えさせてください。
今更すみません。。。テールランプ・・って、何のことかと思いました・・。女性はあの場面ではもう、主人公になりきっているので、
イーストウッドのあの眼差し以外、何も目に入りません。(女性・・というより、私、といった方が正確なのでしょうが・・)
もう一回、観てみます。(観たくなりました)今度はテールランプと最後のシーンの美しさに、気がつくでしょうか。 思い込みだけでなく全体的に、観てみます。そうですね。作り手の側に立ったなら、そうあるべきですね。私は今までどんな映画の観方をしてきたのでしょうか・・。語る資格もありません。(と落ち込みながらも、ここに、しかも一番最初に書き込んでいる恥知らずなMarieです。)前回では私の無知故に折角の皆さんの話の腰を折ったかたちになってしまって・・、すみませんでした。実は、それを、言いたかったのです・・・。ごめんなさい。。。
戦争映画を観終えた人が「感動した」と言っているのを目(耳)にしますが、
そのたびにどうしようもない違和感を覚えるのです。
少ない経験ではありますが、その類の映画を観た後の僕からは
どう絞りだしてもその言葉は出てこないのです。
僕の場合、心が疲弊して「喋りたくない」状態というのが正しいでしょうか。
とても真面目な感想文を発表する気にはなれないのです。
例えが戦争映画だったので、こんな話をしてしまいました。
ズレていたら申し訳ないです。
『トリコロール 白の愛』でのジュリー・デルピーの「バイバイ」にショックを受けられたのですね?
僕もあれは青・白・赤とすべて観ました。
ちなみに僕は『青』が好きです。
理由はいたって簡単。
・映像のイメージを支配する、あの「青い色」が好きだから。
・ジュリエット・ビノシュがあの青い色に溶け込んでいるから。
の二つです。
僕は映画に寄り添えているのでしょうか…?
確信的な問いかけをしてしまいましたが、本当は「作り手」よりも「観客」の方が決定権を握っているのだと思います。表現者である貴方ならば、尚更そうかもしれません。
まず、戦争映画に対して。とてもリアルなコメントです。間違っても「はしたない」方でないことがよく判ります。
『トリコロール』を3部ともご覧になっていることで、「ほぼど素人」というコメントが疑わしいですね(笑)。僕ごときに「映画と寄り添えているか?」という問いへの回答は出来るはずもありませんが、少なくとも、「充分すぎる資質」をお持ちなのだと思います。これは文章の技術だけではごまかせない感性の問題であることが、この僕にでさえ、判るのです。
この記事を拝見して、強烈に印象に残っている二人の言葉をすぐに思い出しました。
間違いがあってはいけないので、そのまま引用します。
まずは淀川長治氏。
「映画を頭で見たら、つまらないね。もっと感覚的に見てほしい」
そしてそんな淀川さんについて語った黒澤明。
「悲しいところでも、美しいところでも、楽しいところでも、「きれいね」ってあの人言うよね。あれこそ本当に映画が好きな人の見方だって、僕は思うよ」
二人のこの言葉はず~っと頭の片隅にあったんですが、それでもなかなか実践できていない自分がいます。
それで今回cassavetes69さんの記事を拝見して、また強烈に先ほどの言葉がよみがえってきました。
そう思い直し自らの書いた感想を思い浮かべてみると恥ずかしい限りですが、少しでも“映画と親密になる資格”に近づきたいと思う今日この頃でした・・・
(読書感想文風)
今回は「戦争映画」という極端な例を取り上げましたが、あの回でも触れられているように、安易なセンチメンタリズムをさらけ出すことに少しでも躊躇いを持つことが、芸術を語るものの最低限のマナーだと思うのです。
映画への親密さでcassavetes69さんの足元にも及びませんが、一歩でもその域に近づけるよう映画と向き合っていきたいと思います。
こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。