2005年 02月 11日
Paul |
'80年代に若さを捧げた者にとって、ポール・ウェラーという名前は誰もが出くわす壁のようなものだった。あるものは全く意に介さずに脇をすり抜けていったし、あるものはその壁の前で長く立ち止まることになった。
僕もその壁にまともにぶつかった一人だった。
そして今も、その名前に出会うたびに、特別な記憶と感情が呼び起こされる。
ポール・ウェラーの名前をはじめて意識したのは、「The JAM」が終焉を迎える'82年頃だったか。「The CLASH」や「SexPistols」と比較して、日本ではもう一つ知名度の低かったそのバンドが、パンクムーヴメントの後にも人気を保ち続けた秘訣は、その”STYLE”にも依るところがあったと思う。
『Quadrophenia』(四重人格)という原題を持つ映画『さらば青春の光』が、VIDEOの普及と共に、この日本のトンガッた若者に少しずつ浸透していった頃、ポール・ウェラーは「The Style Council」というユニットを組んで、パンクと完全に決別した。いや、その遥か前からすでにソウル・ミュージックという強烈な磁場が、彼の足元を捉えつつあったのだが。
1stアルバム『Cafe Bleu』は、ただとにかく、かっこよかった。
おそらく音楽的な創造力という点で、特殊な才能に欠けるポール・ウェラーは、ミック・タルボットやトレイシー・ソーンらをうまく配置して、自らをプロデュースした。続く『Our Favourite Shop』では、セールスの点でも頂点に立った。彼はこのユニットで、いくつかの名曲を世に送り出した。優れたメロディ・メーカーには違いないのだろう。
僕らはこぞって、(滑稽なまでに)彼のセンスとスタイルをまねようとした。
「ヤツのホワイトジーンズは、UKリーバイスの生成りだぞ」
「いや、インタビューではリーバイスは日本製が一番いいと言ってたぞ」
「70505のホワイトを”BLAZE”に置いてたぞ」
「LOAKEのタッセルは素足ではかなきゃダメだよ」
「VESPAを千手観音みたいにしたいんだけど」
こういったことを、僕らは殺傷能力の高い熊本弁で、熱く語っていた。
(当時、熊本は全国的にオシャレな街といわれてたんです。誰も知らないだろうけど)
その後、活動をソロに移してからも、彼は神話性を帯びて語られ、憧れの対象であり続けた。BEAMSの広告でも、surburbiaの各プロジェクトでのシンボルとしても(この取り上げ方については多分に違和感は感じているが)。
'95年の『Stanley Road』では、セールスでも再び頂点に立った。
音楽的に泥臭い風味をまとっても、ポール・ウェラーは常にスタイリッシュであり続ける。
その振る舞いは"天才的”ともいえる。
最近でも、テリー・キャリアーと競演したり、その音楽活動は変わらず旺盛だ。
プロデューサーとしての才覚も確かな人だと思う。
しかし、彼は常に、音楽から離れたところでも語られてきた。
彼は間違いなく、深く音楽を愛している。
もっと、音楽から愛されてもいいのではないだろうか。
僕もその壁にまともにぶつかった一人だった。
そして今も、その名前に出会うたびに、特別な記憶と感情が呼び起こされる。
ポール・ウェラーの名前をはじめて意識したのは、「The JAM」が終焉を迎える'82年頃だったか。「The CLASH」や「SexPistols」と比較して、日本ではもう一つ知名度の低かったそのバンドが、パンクムーヴメントの後にも人気を保ち続けた秘訣は、その”STYLE”にも依るところがあったと思う。
『Quadrophenia』(四重人格)という原題を持つ映画『さらば青春の光』が、VIDEOの普及と共に、この日本のトンガッた若者に少しずつ浸透していった頃、ポール・ウェラーは「The Style Council」というユニットを組んで、パンクと完全に決別した。いや、その遥か前からすでにソウル・ミュージックという強烈な磁場が、彼の足元を捉えつつあったのだが。
1stアルバム『Cafe Bleu』は、ただとにかく、かっこよかった。
おそらく音楽的な創造力という点で、特殊な才能に欠けるポール・ウェラーは、ミック・タルボットやトレイシー・ソーンらをうまく配置して、自らをプロデュースした。続く『Our Favourite Shop』では、セールスの点でも頂点に立った。彼はこのユニットで、いくつかの名曲を世に送り出した。優れたメロディ・メーカーには違いないのだろう。
僕らはこぞって、(滑稽なまでに)彼のセンスとスタイルをまねようとした。
「ヤツのホワイトジーンズは、UKリーバイスの生成りだぞ」
「いや、インタビューではリーバイスは日本製が一番いいと言ってたぞ」
「70505のホワイトを”BLAZE”に置いてたぞ」
「LOAKEのタッセルは素足ではかなきゃダメだよ」
「VESPAを千手観音みたいにしたいんだけど」
こういったことを、僕らは殺傷能力の高い熊本弁で、熱く語っていた。
(当時、熊本は全国的にオシャレな街といわれてたんです。誰も知らないだろうけど)
その後、活動をソロに移してからも、彼は神話性を帯びて語られ、憧れの対象であり続けた。BEAMSの広告でも、surburbiaの各プロジェクトでのシンボルとしても(この取り上げ方については多分に違和感は感じているが)。
'95年の『Stanley Road』では、セールスでも再び頂点に立った。
音楽的に泥臭い風味をまとっても、ポール・ウェラーは常にスタイリッシュであり続ける。
その振る舞いは"天才的”ともいえる。
最近でも、テリー・キャリアーと競演したり、その音楽活動は変わらず旺盛だ。
プロデューサーとしての才覚も確かな人だと思う。
しかし、彼は常に、音楽から離れたところでも語られてきた。
彼は間違いなく、深く音楽を愛している。
もっと、音楽から愛されてもいいのではないだろうか。
by cassavetes69
| 2005-02-11 01:51
| 音楽
|
Comments(4)
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by
ina17ina at 2005-02-11 21:23
ひー!!ポールだー!
実はわたしのブログ、始めの3日くらいは『アワ・フェイバリット・ショップ』って名前でした。
たしかに音楽とは離れたところで語られるひとですね。
声もへんな感じだし、名曲っていえるものもあまりない。
でもその不器用さがなんかかえって魅力的だったりします。
ウェラー兄貴って日本ではあまり好まれない人種なのかもしれませんね。
実はわたしのブログ、始めの3日くらいは『アワ・フェイバリット・ショップ』って名前でした。
たしかに音楽とは離れたところで語られるひとですね。
声もへんな感じだし、名曲っていえるものもあまりない。
でもその不器用さがなんかかえって魅力的だったりします。
ウェラー兄貴って日本ではあまり好まれない人種なのかもしれませんね。
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cassavetes69 at 2005-02-13 00:05
ina17inaさん=ポール・ウェラーという結びつきは、コロンボでも迷宮入りの難解さですが、ポール・ウェラーには、いまだにその名前が出るたびに強く反応してしまいます。だって、圧倒的にかっこいいですよね。
彼はスタイルこそかわってもまぎれおないメロディーメイカーだと思います。
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cassavetes69 at 2005-02-17 01:10