2009年 06月 07日
『好奇心』 |
10代後半の頃、僕は部屋にルイ・マルのモノクロ写真を飾っていた。
ヌーベルバーグに少し先駆けて登場した、親しみやすく、洒脱さを携えた彼の作品群に魅了されていた。
その後、シャブロルやゴダール、トリュフォーやロメール、リベットなどの真のヌーベルバーグの作家に打ちのめされるまでルイ・マルへの憧れは続いた。
久々に彼の71年の『好奇心』に触れ、ブルジョア少年の後姿を捉えたショットに、とても懐かしい感情が溢れ出た。僕が映画を本当に好きになった頃のなんともいえない感傷と、フランスの大衆ともアカデミックなスノビズムとも馴染めない、あるいは双方とも交わってしまうようなルイ・マルの節操のなさに、親しみを感じた。
終結間際のインドシナ戦争とチャーリー・パーカーが存命中という背景から、54年の出来事と思われる。14歳の少年と、その母。母は末っ子である少年を溺愛し、少年は母に異性としての視線を向ける。
母は、ダニエル・ジェラン演じる夫のほかに、若い恋人との逢瀬も重ねている。
『情事』や『高校教師』のレア・マッセリの、熟れた女の放つ匂いが観ている側にも届く。
ミッションスクールでの懺悔に乗じて、少年の内股に触れる教師ミッシェル・ロンダール。
宗教的、教育的邪悪さを侮蔑するショットも、ルイ・マルらしい清々しさがある。
物語は、保養地で深まる。
思春期の上流階級の男女が、行き交い、少年の目は美しい少女にも注がれる。
しかしその視線は、母親へのそれとは違い、冷たく醒めている。
母の不倫相手を事実として受け止め、その破局に苦しむ母を見つめながら、少年の母への愛は屹立し、母は、我が子を自分の体へと招き入れる。
その行為を、憎むことも忌むことも忘れ去ることもなく、二人は受け止める。
ブルジョワ家族の、幸せの図式の怖さを瑞々しい映像で浮かび上がらせる作品である。
マルの作品は、作家的な観点を遠ざけて接するからこそ、楽しめるのだろうか。
かつて「映画ファン」であったことを、思い出させる作品である。とても懐かしく、心地よくフィルムを受け止めた。
僕は映画の楽しみかたを、どこかで間違ったのかもしれない。
ヌーベルバーグに少し先駆けて登場した、親しみやすく、洒脱さを携えた彼の作品群に魅了されていた。
その後、シャブロルやゴダール、トリュフォーやロメール、リベットなどの真のヌーベルバーグの作家に打ちのめされるまでルイ・マルへの憧れは続いた。
久々に彼の71年の『好奇心』に触れ、ブルジョア少年の後姿を捉えたショットに、とても懐かしい感情が溢れ出た。僕が映画を本当に好きになった頃のなんともいえない感傷と、フランスの大衆ともアカデミックなスノビズムとも馴染めない、あるいは双方とも交わってしまうようなルイ・マルの節操のなさに、親しみを感じた。
終結間際のインドシナ戦争とチャーリー・パーカーが存命中という背景から、54年の出来事と思われる。14歳の少年と、その母。母は末っ子である少年を溺愛し、少年は母に異性としての視線を向ける。
母は、ダニエル・ジェラン演じる夫のほかに、若い恋人との逢瀬も重ねている。
『情事』や『高校教師』のレア・マッセリの、熟れた女の放つ匂いが観ている側にも届く。
ミッションスクールでの懺悔に乗じて、少年の内股に触れる教師ミッシェル・ロンダール。
宗教的、教育的邪悪さを侮蔑するショットも、ルイ・マルらしい清々しさがある。
物語は、保養地で深まる。
思春期の上流階級の男女が、行き交い、少年の目は美しい少女にも注がれる。
しかしその視線は、母親へのそれとは違い、冷たく醒めている。
母の不倫相手を事実として受け止め、その破局に苦しむ母を見つめながら、少年の母への愛は屹立し、母は、我が子を自分の体へと招き入れる。
その行為を、憎むことも忌むことも忘れ去ることもなく、二人は受け止める。
ブルジョワ家族の、幸せの図式の怖さを瑞々しい映像で浮かび上がらせる作品である。
マルの作品は、作家的な観点を遠ざけて接するからこそ、楽しめるのだろうか。
かつて「映画ファン」であったことを、思い出させる作品である。とても懐かしく、心地よくフィルムを受け止めた。
僕は映画の楽しみかたを、どこかで間違ったのかもしれない。
by cassavetes69
| 2009-06-07 13:26
| 映画
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