春なのに |
4月1日付で転勤せよとの内示が出た。
21年間暮らした愛する福岡を離れ、家族とも離れ、単身赴任することとなる。
周囲は片道切符だろうと噂しているようだ。
これから、この地での身辺整理と、新天地での準備に慌ただしくなる。
春なのに、お別れですか。春なのに、涙がこぼれます。
春なのに、溜め息またひとつ。
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2013年 03月 26日
いよいよこの時が来た。
4月1日付で転勤せよとの内示が出た。 21年間暮らした愛する福岡を離れ、家族とも離れ、単身赴任することとなる。 周囲は片道切符だろうと噂しているようだ。 これから、この地での身辺整理と、新天地での準備に慌ただしくなる。 春なのに、お別れですか。春なのに、涙がこぼれます。 春なのに、溜め息またひとつ。 #
by cassavetes69
| 2013-03-26 22:52
| その他
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2013年 03月 24日
桜が咲き乱れている。
桜を連想する邦画はいくつかあるが、今年は吉田喜重の『秋津温泉』を観たいという強い想いが生じる。この作品は、近年お目にかかることのない愛と死の背中合わせの生々しさに向き合った恋愛映画の傑作である。 岡田茉莉子の出演100本目を記念して、彼女自身が主体的に製作に携わった’62年の作品だから、半世紀も前の作品になる。相手役には一歳年下の長門裕之がキャスティングされた。監督の吉田喜重はもちろん松竹ヌーベルバーグの旗手の一人であり、後に岡田茉莉子の夫となった人である。 岡山の山あいにある「秋津温泉」をめぐる男と女の十七年。温泉宿の奔放な娘と、理屈っぽい文士崩れの酒飲み男。二人は互いに相手を求めているのだが、それぞれの境遇とタイミングにことごとくズレがある。 気の進まぬ見合いを済ませた女が、河原の岩にねそべり、煙草を吹かす。 この画像には欠けているが、赤い下駄が並んでいる。絵画的でもあり、映画的でもある完璧なショットだ。 ハリウッド黄金期のスター女優のような鼻筋と、口元が岡田茉莉子にはある。しかしどこかその美しさは均衡を欠いていて、撮り方によってはとても美しいとは言いがたい瞬間がある。その不安定さこそがフィルムに選ばれる重要な条件でもあるような気がする。 このフィルムでは格子戸越しのショットがことごとく美しい。格子戸を挟み、視線が、声が、肌が触れ合う。この格子戸と河原の情景を眺めているだけでも、映画好きの患部がじんじんと疼く。 物語の中盤、長門裕之が苛立ちまぎれに吐き出す「また、おめおめと秋津か」というセリフ。 この映画の神髄はこのひとことに尽きる。中途半端な才能のある男が大した努力もせず周囲に依存し、それでも想いが叶わぬとおめおめと戻る先。それが秋津温泉なのだ。 ただ快楽に流され、何一つことを前に進めようとしない男に対して、女は動く。桜の木の下で。「秋津温泉」こそ、この国の男と女の典型的な姿を捉えた物語なのである。 #
by cassavetes69
| 2013-03-24 21:53
| 映画
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2013年 03月 09日
”ジャンゴ”という名前は、私のようにマカロニウエスタンで産湯を浸かった世代からすると特別な感傷がある。棺桶を引きずって復讐を遂げたあの男の名前は”ジャンゴ”であったし、その後のイタリア西部劇のまさに代名詞となって主役たちに冠された名前である。
タランティーノの新作が『ジャンゴ 繋がれざる者』というタイトルでジェイミー・フォックスが主役の西部劇だときいていたので、今度は何をやらかすのかと楽しみに待っていたわけだが、まったく期待を裏切らない快作だった。 ジェイミー・フォックスにクリストフ・ヴォルツ。さらにレオナルド・ディカプリオとサミュエル・L・ジャクソン。正直なところ、キャストをきいたときは、凝り過ぎ、狙い過ぎて匂いがきつすぎる作品に仕上がるんじゃないかという心配もあったが、よくある取り越し苦労だった。私がスクリーンで目撃したのは、実にシンプルで、痛快で、手に汗握る復讐潭だったのだ。 このジャンルのマニアならばもっと正確な引用をするのだろうが、(この映画に対する周辺情報のフォローをまったくしていない)私が感じただけでも、源流にある『続・荒野の用心棒』はもちろん、タランティーノが最も愛するという『続・夕陽のガンマン』、また掃除人ジュリアーノ・ジェンマがリー・ヴァン・クリーフに師事してガンマンとして一人立ちする『怒りの荒野』からの影響を強く感じたのだ。もちろん、フライシャーの失敗作として名高い『マンディンゴ』にも。そしてそういう映画的記憶のアイコンが、本作にもチラホラと顔を出したりする。 そういう過去作品の刷り込みがあるからこそ、私は主人公ジェイミー・フォックスと、その師を小気味よく演じるクリストフ・ヴォルツがいつか対峙するのだろう、それがどんな裏切りの形をしているのだろうかという、そんな思い込みの道に誘われてしまったのである。 しかし今回のタランティーノには男気があった。侠気があった。同胞への情。揺るぎない愛。そして許されざる者への怒り。 行き詰まる会話の応酬。そこに続く苛烈なバイオレンスにはいつものタランティーノ節が漲っているし、オフビートの笑いも、ブラック・ミュージックを軸に拡がる新旧織り交ぜたサントラの出来映えも、もはや”鉄板”といえるだろう。 イデオロギーや人種問題、時代考証やバイオレンス描写などのディティールに細かく目を向ければ、アレルギー反応を示す箇所もあるかもしれない。しかし私は、この作品が誰の目に触れさせても差し支えない一級のエンタテインメントに仕上がっていると確信している。 極めて魅力的な作品群も残しながら、ハリウッドの西部劇の真似ごとや日本の時代劇の翻案に過ぎないという体制の呪縛に囚われ、あくまでサブカルチャー的な位置づけであったマカロニウエスタンというジャンルが、およそ半世紀を経て、クエンティン・タランティーノという傑出したサブカル映画マニアによって、メインストリームにのしあがってきたのだ。 守るべきは仁義と愛。邪魔する奴はことごとく、復讐の対象として葬ってやる。 『ジャンゴ 繋がれざる者』のタランティーノは鮮やかで、そして潔かった。 #
by cassavetes69
| 2013-03-09 22:45
| 映画
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2013年 03月 02日
小学校は社会の縮図である。
いま、息子はいじめに遭っているようだ。いじめと言っても敵は一人。隣の席の女の子である。 子供たち曰く、その女の子は「ヘンな髪型でデブでブスで頭も言葉づかいも悪い」のだそうだ。妻も「ああ、あの子ね」と言ったので、おそらく残念な感じの女の子なのだろう。 いじめの手口をきいたところ、ささやき戦術で下品な呪詛の言葉を吐いたり、役立たずと罵倒されたり、首を絞められたりしているらしいが、昨日は突き倒されたうえに上履きで踏まれるという屈辱にまみれたらしい。それでもガンジーのような姿勢を貫いているのだ。 これまで夕食時に「もう、いやだ・・・」とポロポロと涙を流すことが何度かあった。僕も人の親なので、かわいそうという気持ちはあるのだが、小さい子供同士の諍いに親が割って入るのは本意ではないし、息子も「先生には言いつけないで」と言っているので、とりあえず毎日話を聴くまでにとどめている。 妻は「こんど睨んでおいてやるから!」と大人げなく効果のほどが疑わしい対抗策しか思いつかないようだし、娘は「うちのお父さんはヤクザだからこわいよと言ってやる」と身内を貶めるようなことを言い出す有様だ。 ※画像はイメージです 親バカを承知でいう。息子はどんくさいところもあるが、色白でイケメンなうえに物識りだ。絵も字も歌もそれなりにうまい。そのうえHipHopダンサーとして急成長中だ。その「残念な女の子」が改心しない限り、いずれ残酷な”逆転の日”が訪れることは想像に難くない。そんななかでの昨日のエピソード。 放課後。外では強い雨が降っていたが、学校の靴箱のところで傘を持っていない男の子がひとり黙って立ちすくんでいた。みんなが通り過ぎていくなか、息子は男の子の様子をみて「一緒に行こう」と傘を差し伸べて、その子が目指す学童保育の校舎まで遠回りして付き添って行ったという。その姿を見ていたクラスメートのお母さんですら、思わず涙するような光景だったらしい。 その話をきいて、息子に「先生に一緒にいってあげるように言われたのか?」と尋ねてみた。息子は「特別ルームに入っている子だったから、たぶん一人では行けないんだろうと思って」と何事もなかったようにいう。なんと思いやり深い子なんだ。 息子よ。父はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ。 #
by cassavetes69
| 2013-03-02 19:11
| その他
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2013年 02月 25日
先週の土曜日、愛用するMacBookにハイボールを大量にぶっかけてしまった。
酔っぱらって手が滑り、グラスをひっくり返したのだ。キーボードの隙間から炭酸が這い出していた。 すぐに電源が入らなくなって異音もしたので、半分諦めて一週間電源を切って乾燥に心がけていたのだが、その甲斐あったのか、なんとか復活してくれたようだ。まだ予断は許さないが、とりあえず使えている。しかし、犯行直後は家族から相当責められた。妻と息子からの十字砲火を浴びて相当落ち込んだ。酒をやめるふりまでしようかと思うくらいのへこみようだった。 数日前、職場の女子から人生初となる来賓スピーチの指名をうけて、平日の結婚披露宴に出席することになった。人前で話をすることは幼少のみぎりからそれなりに多かったわけだが、年配の先輩諸氏から「結婚披露宴の主賓スピーチには魔物が棲んでいる。舐めていると大けがするよ」と脅されていた。 その言葉を受けて、昼間は「やばいな、ストーリー考えよう、練習しよう」などと考えているのだが、夜になると酒を飲んで気が大きくなってしまい、「俺はべしゃりの天才だからなんとかなるさ」と開き直り、本番前夜もその勢いで酔いつぶれ、リビングで眠ってしまった。 当日、式場へ向かう貸し切りバスのなかで僕は焦っていた。むろん、無口だった。 料理目当てのお気楽な女子たちからは「期待していますよ♪」とか「普通のスピーチじゃ面白くないですもんね♡」などと無神経な言葉を掛けられた。人が必死で構成を考えようとしているのに「見えます?あそこの山の上に自衛隊の施設があるんですよ」などと無駄情報を敢えて注入しようとする後輩もいた。ここがアメリカなら、僕はためらいもなく、こいつらの顔面に向かってリボルバーの引き金を引いていただろう。 混乱が支配するまま式場に到着して焦っている僕の視界に、一筋の光が見えた。あれはウェルカムドリンクのカウンターだ。 「ウーロン茶を」「オレンジジュースください」と列を成す一行の中で、僕は抑えめのトーンで、しかしいかなる否定も許さない強い意思を込めて「ジントニックはできますか」と訊いた。 出席の時間が間近に迫っていた僕は、そのロングのグラスを一気に傾けた。 するとどうだ。それまで、絡まった毛糸のようだった頭の中が、すうっとクリアになっていくのがわかった。万能感が僕を支配した。「俺は天才だ」と。 あとは流れに任せた。もちろん緻密に構成されたスピーチではなかったから、多少はぐだぐだなところもあっただろう。しかし、なんとか破綻は回避することができた。ほとんど緊張することもなく、多少は笑いも取りながら、新婦への義理を果たすことができた。 酒に裏切られ、酒に助けられた一週間だった。 #
by cassavetes69
| 2013-02-25 00:03
| 酒
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