『愛の亡霊』 ~追悼~ |
誰がなんと言おうと、亡くなった俳優、田村高廣に賛辞を捧げるならば、この『愛の亡霊』しかない。
僕が知る限り、彼を追悼するどのメディアでも代表作としてこの『愛の亡霊』のタイトルをとりあげたものはなかった。大島渚がカンヌで監督賞を受賞したこの作品で、主演の二人よりも人々の記憶に残る演技を遺したのが、妻を寝取られ、殺される侘しい夫を演じた田村高廣なのだ。
厳密にはフランス資本の合作映画だが、『愛の亡霊』は紛れもない日本映画の真髄と言える作品だ。『愛のコリーダ』よりも数段深く、鮮やかな演出。「空虚さ」や「脱力感」のようなものばかりが国際的に評価される日本映画の現状にあって、大島渚はヨーロッパの巨匠達と真っ向から立ち向かえるだけの高い芸術感覚と演出力を蓄えていた。巨星アンゲロプロスが大島を「同志」と認めるのは、『愛の亡霊』のような熟れた大人の作品があるからなのだ。
夕日を横切る人力車を捉えたこの美しいオープニングに迫るシーンを、僕は数えるほどしか知らない。この映画をもう一つの『近松物語』だと言い切ることにも僕は躊躇いを捨てることができる。
吉行和子と藤達也を井戸の上から見下ろす亡霊・田村高廣の青白い顔は実に素晴らしかった。死に逝くべき男の深遠なる静寂に包まれた存在感と、亡霊としての正しい居住まいに、僕がどれほど感銘を受け、拍手を捧げたことか。
退廃、狂気、情欲、深謀、殺意。日本人が創り、日本人が演じるエロスはここにある。
田村高廣の演技は、エロスとは対極に位置しているようで、実は非常に艶があった。
塩辛で酒を呷る田村高廣の侘しい名演に想いを馳せながら、今夜も酒を呑む。
うつろな時でも、全てを見通しているような、瞳が怖かったのかも。
また品格のある役者さんが逝ってしまったなあ・・・