2006年 01月 13日
『特別な一日』 |
誰もが、他人に明かすことの出来ない「秘密」を抱えて生きている。
そして、その「秘密」は、夢とも現実ともつかないような特別な日の記憶と共生している。
エットーレ・スコラ監督の手による’77年のイタリア映画、『特別な一日』はあらゆる意味で特別である。
まず主役のキャスティング。
マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン。
映画史上の名作として語られることの多いデ・シーカの『ひまわり』で有名な共演だが、僕にとっては、このフィルムの方が特別である。二人の組み合わせ以外では成立しえない物語だからである。
エットーレ・スコラと言えば、『パッション・ダモーレ』『ル・バル』『マカロニ』『スプレンドール』といった親しみやすい作品の方が人気があるようだが、この『特別な一日』は、映画へのオマージュに満ちた『あんなに愛しあったのに』と同様、映画ファンが愛する「フィルムの呼吸」を味わえる。
物語は、倦怠期に入った6人の子を持つ主婦と、ゲイのレジスタンスの間に起きた1日限りのラブ・ストーリーである。
舞台となるその日は、イタリアという国にとっても特別な日である。
あの第三帝国の総統が、後の同盟国イタリアを訪問した華々しい式典の日。
おそらく1938年の設定なのだろう。
家族総出のその日に、生活に疲れた女は一人、安アパートで留守番をしている。
飼っている小鳥が逃げ出し、その女を、魅力的な一人の男と引き合わせる。
スコラの、映画ならではの演出が冴える出逢いのシーンである。
二人は自然に惹かれあう。純朴で美しい女と、知的で艶やかな男はお互いの隙間を埋めあう。
男と女の複雑な想いを隔てるように揺れる屋上に干された白いシーツ。
風で乱れるシーツの動きと呼応するように、男と女の感情ももつれる。
夫以外を見向くことすらしなかった女。
女を愛せないはずの男。
二人の思いはまだ、惹かれ合いながらも、拒む力を残している。
再び男の部屋を訪れたソフィア・ローレン。
ドア越しに背を向けた女の姿を捉えた次の瞬間、二人は卵料理を分け合い、拒み続ける力が尽きたことを悟り、ベッドに埋もれる。
映画作家として、演出という行為に、生真面目に取り組んだことが熱く伝わってくる「流れ」のあるシーンである。
しかし、「特別な日」には終わりが来る。
二人はそれぞれの持ち場へ帰り、迎え入れるべき相手を待つ。
夜。女は、夫のデリカシーの無い手を遮りながら、今日の特別な一日に思いを馳せる。一つずつライトを消し、一枚ずつ衣服を脱いでいく。今日の日の記憶を一つずつ胸にしまい込みながら。・・・女の帰る場所は、夫の待つベッドしかない。
映画はここで終わる。
翌朝の二人にとって、昨日の「特別な一日」は、永遠の一日として、静かに、そして熱く胸に刻まれていることだろう。
そう信じたい。
そして、その「秘密」は、夢とも現実ともつかないような特別な日の記憶と共生している。
エットーレ・スコラ監督の手による’77年のイタリア映画、『特別な一日』はあらゆる意味で特別である。
まず主役のキャスティング。
マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン。
映画史上の名作として語られることの多いデ・シーカの『ひまわり』で有名な共演だが、僕にとっては、このフィルムの方が特別である。二人の組み合わせ以外では成立しえない物語だからである。
エットーレ・スコラと言えば、『パッション・ダモーレ』『ル・バル』『マカロニ』『スプレンドール』といった親しみやすい作品の方が人気があるようだが、この『特別な一日』は、映画へのオマージュに満ちた『あんなに愛しあったのに』と同様、映画ファンが愛する「フィルムの呼吸」を味わえる。
物語は、倦怠期に入った6人の子を持つ主婦と、ゲイのレジスタンスの間に起きた1日限りのラブ・ストーリーである。
舞台となるその日は、イタリアという国にとっても特別な日である。
あの第三帝国の総統が、後の同盟国イタリアを訪問した華々しい式典の日。
おそらく1938年の設定なのだろう。
家族総出のその日に、生活に疲れた女は一人、安アパートで留守番をしている。
飼っている小鳥が逃げ出し、その女を、魅力的な一人の男と引き合わせる。
スコラの、映画ならではの演出が冴える出逢いのシーンである。
二人は自然に惹かれあう。純朴で美しい女と、知的で艶やかな男はお互いの隙間を埋めあう。
男と女の複雑な想いを隔てるように揺れる屋上に干された白いシーツ。
風で乱れるシーツの動きと呼応するように、男と女の感情ももつれる。
夫以外を見向くことすらしなかった女。
女を愛せないはずの男。
二人の思いはまだ、惹かれ合いながらも、拒む力を残している。
再び男の部屋を訪れたソフィア・ローレン。
ドア越しに背を向けた女の姿を捉えた次の瞬間、二人は卵料理を分け合い、拒み続ける力が尽きたことを悟り、ベッドに埋もれる。
映画作家として、演出という行為に、生真面目に取り組んだことが熱く伝わってくる「流れ」のあるシーンである。
しかし、「特別な日」には終わりが来る。
二人はそれぞれの持ち場へ帰り、迎え入れるべき相手を待つ。
夜。女は、夫のデリカシーの無い手を遮りながら、今日の特別な一日に思いを馳せる。一つずつライトを消し、一枚ずつ衣服を脱いでいく。今日の日の記憶を一つずつ胸にしまい込みながら。・・・女の帰る場所は、夫の待つベッドしかない。
映画はここで終わる。
翌朝の二人にとって、昨日の「特別な一日」は、永遠の一日として、静かに、そして熱く胸に刻まれていることだろう。
そう信じたい。
by cassavetes69
| 2006-01-13 00:43
| 映画
|
Comments(6)
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by
kanamarie at 2006-01-13 03:39
映画はそこで終わってるので、
その先、どうなるか、分からないですよね。
そう信じます。
その先、どうなるか、分からないですよね。
そう信じます。
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at 2006-01-13 22:36
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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cassavetes69 at 2006-01-14 00:11
kanamarieさん。
映画の結末に思いを託すというのは、本来の私には無縁ですし、映画を語るときにも避けているのですが、ちょっと、そう書いて見たい気分だったのです。
映画の結末に思いを託すというのは、本来の私には無縁ですし、映画を語るときにも避けているのですが、ちょっと、そう書いて見たい気分だったのです。
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cassavetes69 at 2006-01-14 00:20
鍵様。
そんなわけないでしょう。
あくまで、これは映画の話です。(そうくると思っていましたが)
前にも書いていますが、この映画は、一人の主婦の純愛映画です。
決して不倫の物語だとは思っていません。
そんなわけないでしょう。
あくまで、これは映画の話です。(そうくると思っていましたが)
前にも書いていますが、この映画は、一人の主婦の純愛映画です。
決して不倫の物語だとは思っていません。
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tanatali3 at 2006-01-14 13:21
この当時は、浮気はあってもまだ敬虔なカトリックのお国そのものでしょう。
私の経験では、70年代初期のイタリアでさえ「ハスラー」のような過激な雑誌はまだ解禁されていませんでした。
それにしても、このように評論されると、是が非でも観たくなってしまいます。(笑)
私の経験では、70年代初期のイタリアでさえ「ハスラー」のような過激な雑誌はまだ解禁されていませんでした。
それにしても、このように評論されると、是が非でも観たくなってしまいます。(笑)
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cassavetes69 at 2006-01-14 16:06
tanatali3さん、貴重なお話をありがとうございます。イタリアにもいらしたんでしょうか?そうですね、確かに大戦前ですから、カトリック色は濃かったんでしょうね。しかし、'70年代初期もそうだったのですね。
『特別な一日』は、設定や時代背景、映像の色彩から受けるよりも、観てみると軽い映画だと思います。個人的にはこういう映画、好きですねぇ。
『特別な一日』は、設定や時代背景、映像の色彩から受けるよりも、観てみると軽い映画だと思います。個人的にはこういう映画、好きですねぇ。