『さらば友よ』 |
その中のタイトルから、一作取り上げてみたい。
'60年代中盤以降のフランスには、特有の質感のフィルムノワールがあった。
ヌーベルバーグの影響は少なからず受けつつ、わかり易いパルプフィクションのチープさが漂う童話的な犯罪映画たちだ。
作家セバスチャン・ジャプリゾと、監督ジャン・エルマンの共同脚本で編み出されたのが、'68年の映画『さらば友よ』である。アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの共演という、むせるような「濃さ」が強い香水のように立ち込めるフィルムである。
この時代のノワールは、深夜のテレビ画面にも相性がよい。
天地茂の裏で、新聞のテレビ欄に配置されていたら、実に収まりが良かった。
粗さはあるのだが、暗黒映画としてのストーリーはなかなか練られていて、プロットも悪くない。ノワールに必要なそれぞれの「パーツ」の準備にも怠りが無い。
僕は、犯罪映画には「夜の地下駐車場」が欠かせないと思っている。
密閉された地下という薄暗い空間。誰が潜んでいるか判らぬ緊張感を醸し、犯罪を助長する武器である車が怪しい存在感を放つ。この映画では、その駐車場に裸の美女が用意されているのだから、ノワールのファンが喜ばないはずは無い。そのうえ、ド・ルーベの音楽付きである。
『禁じられた遊び』のブリジット・フォセーのイメージ通りの成長も微笑ましい。
彼女の方が自分よりも20歳以上年上のはずだからその印象は奇妙とも言えるのだが。
金庫破りのシーンの二人の締まった肉体と汗。
互いを騙しあい、ののしりあいながら、ダイヤルを合わせていく。
苦いチョコレートのような、アラン・ドロンの胸焼けのする顔と、皺と髭の中にニコチンがしみこんだブロンソンの顔が接近する。
閉ざされた金庫室の画面から漂ってきた、むせるような香水の匂いは、朽ちかけた”ローズ”だった。
あれ、私もやったことがあって、表面張力のよい実験となったことを思い出しました。
わたしはアラン・ドロンのファンでして、ブロンソンの魅力が最大限引きだされていたのは、ドロンと共演したからだと思っています。
私はアラン・ドロンのファンではないのですが、彼の映画史における存在感は大いに評価しています。私の好きな作品によく出ているんですね。
ブロンソンの魅力の誘引になっているのは間違いないでしょうね。これがリノ・バンチュラやベルモンドではブロンソンのキャラが相殺されてしまいますからね。