2004年 12月 19日
昭和の歌謡曲でひとこと |
僕は不満なのだが、テレビという奴は、いやメディアというべきかもしれないが、大抵その人の一番いい仕事は評価しないものだ。
判りやすい話で、昭和の歌謡曲を例に取りたい。例えば、山口百恵---彼女の映像と共に流される曲は、大抵『いい日旅立ち』や『秋桜』で、教科書にのるようないわばベタな曲。この2曲は山口百恵の正道からはかなり外れた退屈な曲で、純粋に彼女のキャリアから生まれたと認めがたいところがある。彼女の曲が一番魅力的だったのは、個人的には「パールカラーにゆれて」「イミテーション・ゴールド」「夢前案内人」、この頃だと思うのだ。横須賀の香りと彼女の冷淡で慈悲深い顔がシンクロする。メロディラインが歌謡曲ならではの展開に収まりきらず、ひとひねりがはいっている。三浦友一もこの時期の「乙女座宮」が好きだったらしい。ただし、この時期の彼女の映像はTVで殆ど見ることができない。
西城秀樹で言えばアホみたいな「ヤングマン」じゃなくて「ブーツを脱いで朝食を」あたりがもっと取り上げられていいと思うし、沢田研二も「勝手にしやがれ」以前もいい曲はあるんだから、と思ってしまう。「君をのせて」「追憶」「許されない愛」などは「勝手に・・・」以後よりも遥かに素晴らしい。なのに、TVで流れるのはお遊びの「TOKIO」だ。郷ひろみは「二億四千万・・・」なんて屑で、耽美なラテン少年のような哀愁を醸していた時期がいい。「よろしく哀愁」は歌謡史に残る傑作だと思うが、それ以外にも、「あなたがいたから僕がいた」「洪水の前」「ハリウッド・スキャンダル」などは、郷ひろみのアイドルとしてのピークだと思うのだ。
この傾向は映画でも何でも同じ。キャリアのピークの捉え方がメディアって奴はおかしいし、正しく伝えようとしない。それが後年、評価をゆがめてしまう・・・。この件はまた別の機会に・・・。
by cassavetes69
| 2004-12-19 01:37
| 音楽
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